mrtyuk’s blog

学生時代に戻りたい16卒社会人。

疲れたね

営業の休憩の途中、喫茶店で記事を書いている。


正直な話、仕事を辞めたくてたまらない。


僕は今、とある証券会社で働いている。

一年目の仕事は主に新規開拓営業。

決まったエリアの法人、個人宅に飛び込み訪問や電話をかけて新規顧客を獲得するといったものだ。


これが何よりも嫌で嫌で仕方ない。

元々人見知りかつ人に迷惑をかけることはしたくない人間だから、用もない人に対して何回も電話をかけたり飛び込みしたりはしたくないのだ。


怒られることもしばしば。

もう来るな、うちは必要ないからやめて、しつこい、よく言われることだ。

自分は必要とされていない、なんのために働いているのかわからない。何度思ったことか。


毎日毎日辞めたいと考えている。それも四六時中。心が休まることが全然ない。

支店では成績が出ないことに対してプレッシャーをかけられる。

同期は新規顧客を獲得している。しかし、個人的にはそんなことはどうでもいい。成績が出ないことよりもこの仕事をしたくなくてたまらないのだ。


最近ではインターフォンを押すことも怖くなってしまった。電話もかけたくない。

正直誰とも話したくもない。



すぐにでも転職したい。

間違いなくこの仕事は向いていないと感じている。

同期の仲の良い友人は辞表を出したようだ。

僕はチキンだからビビって言い出せていない。

辞めるのにもエネルギーいるんだなあ。



まあ、それよりも常に思っていることは、

ああ、学生戻りてえなあ。なんですけどね。

サラバ青春

3月22日、大学を卒業した。
これで学生としての自分は終わりを告げた。

小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年、計16年だ。
16年という歳月は文字にしてみると大層長いもんのように思えるが、全然そんなことはなかった。
今でも小学校のときの記憶が鮮明に残っている。中学高校大学も同様にだ。大学時代の記憶なんてつい先日のもののようにはっきり頭に残っている。

いやぁ〜楽しかった(笑)
これが僕の素直な気持ちだ。
僕は学生時代にわりかし満足している。
ただ思い出は美化されているな。
辛かったこともメチャメチャ多かった。
小中高大全てにあったな。特に高校なんて毎日が辛くて辛くて…
まあ今ではそんなこともいい思い出になった。
当時は死にたいと思っていたことまでも意外と時が忘れさせてくれるもんだ。僕も大人になったもんだな。
唯一の心残りは彼女ができなかったことかな。
できてたら文句ナシだったかな(笑)

今までで1番楽しかったのはどの時期だい?と問われたら今は大学時代だと答えるだろう。
しかし、4年前は高校時代が1番だったし、7年前は中学時代が1番だった。
どんなときも今が1番楽しいんだろうし、今の楽しい記憶は昔の楽しい記憶を塗り替えるんだろう。

ただ将来はわからないな。社会人になった自分が楽しんでいるとビジョンが浮かばない。
おそらく大学時代が1番だったと言っている気がするな。

これから何年かはモラトリアムをもがいているのではないかな。
簡単に大人になれる気がしないし、いつまでたってもあの頃に戻りたいと泣いている気がするな。もっと言えば中学校の頃から性格人格に成長が見られないのだからこれからもこのまま成長しないんじゃないかとも思えてくる。

とはいえ、否が応でも社会に飛び出さなくてはならないのであるから、とりあえず頑張ってみようと思う。想い出がいっぱいの学生時代の綺麗な記憶を時には思い出しながら。

サラバ、青春の日々

今日、上京して4年間を過ごしたアパートを引き払った。大学での4年間を共に過ごした部屋だ。そして、アパートと共に4年間を過ごしたこの街を離れることにもなった。

不満ばっかりだった。狭い、暑い、ゴキブリは入ってくる、ホコリはたまりやすい、アパート名が長いので住所を書くときに面倒臭い、など挙げればキリが無いほどにだ。

街に関してもそうだ。食料品、家庭用品の調達の面では満足だが、とにかく飯屋がない、居酒屋もない。駅の周りも何も無い。正直もっと都会のほうに住みたいとも考えたこともある。


でも、いざ離れるとなるとそんな不満は消し飛んだ。不満よりも満足な気分に、そしてここを離れたくない、そんな気持ちになった。すごい良い部屋と良い街だった、そう思っているのが今の僕の率直な気持ちだ。

まあ、確かに不満な点は多かったが1人で過ごすには十分だし、何より快適だった。初めての一人暮らしをあの部屋あの街で過ごすことができてよかったと本当に思っている。

今、実家への帰路の途中で僕の過ごした日々が思い出される。アパートでに関して言えば、あの家のレイアウトを考えたこと、ずっと寝ていたこと、壁を破壊したこと、ゴキブリと戦ったこと、友達が遊びに来てくれたこと、思い出したらキリがない。

街に関してもだ。夜空が綺麗だったこと、イチョウが綺麗だったこと、お寺の木々の四季の移り変わりを見るのが楽しかったこと、桜が綺麗だったこと、流れ星が見えたこと、金木犀の香りがしたこと、悲しみに暮れながら歩いたこと、こちらも思い出したらキリがない。

とにかく、すばらしい日々だった。一生忘れることのない日々だろう。今でも帰る場所といったら実家よりもこっちが思い浮かぶし、つい三田線に乗ってしまいそうだ。

また機会があったら行きたいな、行けたらいいな。

僕の過ごした部屋、過ごした街にありがとう。

僕は今、とても寂しい。
大学の卒業を間近に控え、僕が過ごしてきた日常、街並み、友達などとお別れしなくてはいけないからだろう。
楽しかった日々を思い出し、毎日感傷的になっている。


ただ、ふと思ったんだ。
「寂しい」の反対にあたる言葉ってなんだろう。

「楽しい」でも「嬉しい」でもなさそうだなぁ。僕にはいい言葉が思い浮かばないようだ。

辞書にはこう記載されてあった。
「賑やか」だと。

…なんかちがうよなぁ。

確かに、「寂しい」という言葉の意味を解釈した上での言葉としては「賑やか」という言葉は間違いではないだろう。むしろ正しいだろう。

しかし、僕が知りたいのは別れや終わりが僕を感傷的にさせるという意味での「寂しい」という言葉の反対なのだ。

僕が思うに、今現在の「寂しい」感情の反対になる言葉をある感情に当てはめるとしたら、今思い出している友達との懐かしい日々、瞬間の感情がそれにあたるのだろう。

友達といるときのあの満たされた気持ち、あの雰囲気、あの笑いあった瞬間の気持ち、どうやって表せばいいんだろう。

単純に「楽しい」って言葉だけじゃ言い表せない、あの満たされた感情はなんと呼べばいいのだろう。

上手い言葉が見つからない。
あの感情は覚えているんだけどなぁ。


わからない。けれども僕が一番幸せに感じたのはあの瞬間、あの日々だった。あの瞬間、あの日々が、「寂しい」の反対にあたるものだったと僕は思う。

もちろん、「寂しい」という感情は人によって様々だろうし、「寂しい」という感情を感じる場面も人によっては違うだろう。

だから、この「寂しい」という言葉の反対というものは人によって様々な答えが出るだろうし、どのような状況を思い出すのか、またどのような感情をこれに当てはめるのかも人によって様々だろう。言ってしまえばこの僕の疑問に明確な答えなどというものはないのだろう。

ただ、僕は、僕が感じた、あの感情が答えだと思う。「寂しい」の反対の言葉というものの答えは出せないけれども、「寂しい」の反対に当てはまる感情というものは僕の胸の中にあるのだろう。